1975年6月mayuさんは産まれました。
mayuさんの人生のはじまり〜はじまりぃ〜。
産んだのはマキコさんです。昭和14年生まれのマキコさんは現在85歳になります。元気です。
母は、私が2歳の時に離婚しました。
当時、深谷から上京し、浦和の地で美容室を開業していた母。
いつか弁護士になるからと、朝から酒浸りな父が言い、美容室経営のお金を持っていってしまう生活が続いたそう。
『娘の為に離婚します!』と言った母。
私を右と左で引っ張り合いになったこともあっようで、そんなことを聞かされたのが、mayuさん二十歳の時。
当時の美容室には住み込みのお姉さん達が3、4人いました。
いつもワイワイ賑やかで、ご飯をみんなで食べたり、旅行に行ったり。寂しいと思う事はありませんでした。
母、マキコさんはマメなお方で、私の小さい時のアルバムもきちんと作ってあります。
母作のアルバムが面白いのは、私の顔が丸くくり抜かれ、葡萄の房のように私の顔がいくつも実っていたり、どんぐりのように木になっていたり。。。笑
ちょっとしたホラーですよ。
残しておきたくない人が一緒に映っていたのでしょうね。
でも娘も映っているから捨てられない。苦肉の策の『葡萄の実』なのです。
ありがとね。母
母が今でも楽しそうに話す、私の保育園時代の話があります。
当時ではまだ珍しかった女性でバイクに乗る人。
母は一目散に免許を取り、流行りのバイク『ラッタッタ』で私を保育園へ送迎していました。
お巡りさん👮♀️に遭遇すると、母から『降りろ』と指示されます。
ぶかぶかのヘルメットをズッコケかぶりしている娘が、エンジンを切ってラッタッタを押して歩いてる母の
隣を歩きます。
『ご苦労様でーす』と笑顔で通り過ぎる怪しい親子。
どう見ても、二人乗りしてたよね??って親子。
私が後ろを振り返る担当。
『まだお巡りさん見える?』と母が聞く
『見てるぅ』というやり取りを何回か繰り返し、
『居なくなったー!』 『乗れぃ!』と元気にブンブン!保育園へ向かう親子でした。
『mayuちゃん、ぶかぶか、ズッコケヘルメットでさぁ〜、』って今でもそれを楽しそうに話す母。
むかーしの事はほんと鮮明に覚えているのね。
私はね、帰り道に母の背中越しに、坂道から富士山⛰見たり、途中の豪邸にいたシェパード
内緒で餌をあげたりした事をよく覚えているわ。子供としては行きよりも、帰り道の方が嬉しかったのかもね♪
お友達に腕をかじられて、思いっきり泣いたら、脱腸になっちゃって、緊急手術したり、YMCAで踊る寒風体操が嫌いで、一人だけセンターでしゃがんでボイコットしていたりと、すくすくと育ったmayuさん。次は小学校へ入ります。
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